緋の稜線感想

タイミングがうまいことあって全巻一気読みしました。昔読んだことはあるのですが、改めて読んで沸々とこみあげてきたので書き起こし。
時代背景が戦前から昭和の終わりまでということもあると思うのですが、根底に流れる価値観が違い、違和感を感じることが多々ありました。でも現代に通じることもあり、むしろ今にいたっても解決していない問題に対して先見の明を感じることも多く、非常に読み応えのある作品でした。

一番価値観の違いを感じたのはやはり女性の有り方です。登場人物に基本的にいいところの奥さんが多いのですが、地位のある男性は基本外にお妾さんがいるし、正妻はそれを受け入れなければならないという風潮で絶対離婚はしないのですね。

そんな中で主人公の夫である昇悟は女性を一人の人間としてみることができる稀有な男性として描かれているのですが、神格化されすぎ!
また、個人的に描き方が最も許せなかったのが昇悟とお妾さんと妾腹の子供について。ここにものすごく納得できなかったので不満を掘り下げて書いていきます。
これが許せないのは主人公に肩入れしちゃってるからなんだろうなとは思うんですが・・・

主人公である瞳子は結婚してそのあとすぐに夫が出征して、空襲でお舅さんが亡くなって男手の全くない中、戦後の混乱期に義実家の姑と義妹を養うために大黒柱として大回転。もうこの時点で出戻っていいんじゃないかな?と思いました。二十歳くらいで子供もいないし。
やっと昇悟が戻ってきて幸せに暮らせるかと思いきや結核末期の幼馴染に強姦されて妊娠。ものすごく悩んで、たとえ離婚してでも自分の子供だからと出産することを決意。この時、昇悟はしばらく気持ちの整理がつかず瞳子を実家におきっぱなしにするものの、何やかやあって自分の子供として受け入れることにします。
その後、昇悟と瞳子が二人三脚?でバリバリ働き始めるとお互いに仕事が忙しく、会えるタイミングも少なくなります。そこで夫婦の心の隙間をつくように、いろんな偶然が重なりあって昇悟は芸者を囲うことになります。お妾さんは16歳で昇悟は30半ばくらいかな?嫁にきた時の瞳子に似ているとのことですが、この時点でただの男でなんならロリコンなので神格化をやめいという感じです。でもこのお妾さんがすごく健気で一途な素晴らしい女性のように描かれることから昇悟の行いは悪いようには描かれず、誰が悪いわけでもない、仕様のないことだったのだという論調。お妾さんはめでたく妊娠するのですが、この時結核が発覚。長くは生きられないということに。そうこうしている内にとうとう瞳子もお妾さんの存在を知ることになります。
瞳子がお妾さんに会った結果、死にゆく人の最後の願いやらなんやらに絆されて妾腹の子供を自分の実子として引き取り、ついでに昇悟も許すことにするんですね。ちなみに昇悟は悪かったと思っているものの特に謝罪もせず、お妾さんにまだ心が残っている感じ。でも離婚のりの字もでてきません。

問題はここ!

昇悟はお妾さんに子供を生むことを許すんですね。でも離婚する気は全くないんですよ。瞳子は夫以外の子供を生むときに離婚もやむなしと決意しています。ということは昇悟は女性は一人の人間云々いいつつもそれを貫くことができなかったダブルスタンダード男に成り下がったわけです。覚悟もないのに浮気すんな!ばれた時点でせめて土下座して謝れよ!瞳子!離婚っていいなよ!
ただ、ここでずるいのはお妾さんが亡くなるということ。もしお妾さんが元気なままだったら昇悟は子供を生むことを許したのか?また、許したとして瞳子がお妾さんの子供は引き取らない、私は子供を2人つれて出ていくといったらどうしたんですかね?正直、妾は妾としての器量しかもっていないから妾なんです。昇悟の根幹である大店の正妻としてふるまえるとは到底思えませんでした。離婚を切り出されてなりふり構わず妾を捨てて瞳子をとるくらいの描写があればまだ納得感があったのですが。
あと、周囲の人も瞳子に厳しすぎ。瞳子が忙しすぎて昇悟を構ってやれず、そこに配慮できていなかったから妾をつくられたんだとか言われてて昇悟は子供か!と。どっちも忙しかったんですよ?会えなかったのは瞳子も同じ。なら瞳子が浮気してもいいの?それは許さないんでしょ?
昇悟が昭和の古い男で妾をもつことが男の甲斐性と考えるようなタイプであれば問題ありませんが、瞳子と一緒に人生を歩んでいきたいとかいろいろ言って瞳子を雁字搦めにしばりつけてきた男がやっていいことではないです。これでもまだ言い足りないくらい神格化が続くことが許せない。

瞳子は全ての子供を自分の子供として育てますが、やはり人の口に戸は立てられぬもの。二人の子供は自分の生い立ちをしることに。
更にその直後くらいに昇悟は飛行機事故で行方不明に。瞳子は3人の子供(一人だけ正嫡)を抱えて一人で事業と家庭の切り盛りを行うことになります。
昇悟役立たずすぎない?肝心な時はいっつも舞台にはあがらないんだよねお前。それが話を面白くさせるということはわかっているけど!

んで、最終巻近くになってお妾さんに年々似てくる妾腹の子に対して瞳子は複雑な気持ちを抱くようになり、正面から目を合わせることができなくなってしまいます。それはやはりお妾さんに対してのわだかまりを当時解消できていなかったつけがまわってきたんですね。
昇悟がほぼ死亡しているということで、先に死んだお妾さんと二人で向こうの世界にいるのかと思うと許せない気持ちになる。
じゃ、なぜわだかまりをなくせていなかったかというと、それは瞳子がお妾さんと勝負をしている気だったからだと言います。望まれぬ子供を身ごもった時、一時はおろそうとした自分と命がけで何がなんでも生もうとしたお妾さんを比べて女として母として負けた気になった。それを妾腹の子供を育てることで勝とうと独り相撲していたから苦しかった、という結論に達して妾腹の子供と真にわかりあって?終了・・・したのですがここもはぁ!?です。

いやいや状況違うでしょ。瞳子の場合は強姦だったけどお妾さんは好きな人のところに無理やりおしかけたよね?全く欲しくなかった子供と切望するほど欲しかった子供であって前提条件全く違うから!お妾さんが強姦されて昇悟以外の子供を身ごもってたらたぶんおろしたと思うよ?大丈夫、余裕で勝ってるよ。
あと妾腹の子供は結構命の危機があるんだけど、そのたびにお妾さんがあらわれて守ってくれているアピール。なんならそっちに感謝。むしろ本当の母娘だからこその甘えなんだろうけど、瞳子への扱い雑すぎない?瞳子は実子を放り出して夜泣きに付き合ったりしてるのにお母さんを呼んでも呼んでも来てくれない夢を見続けるって、悲劇のヒロインいつまでやってるの?むしろお妾さんは生んでくれた人だけど自分の母親は一人だけくらい言ってほしかったですわ。あとお妾さんも神格化されすぎ。強姦した幼馴染は全然でてこないよ?同じくらい子供を望んでいたと思うんだけど。

ということでやっぱりなんだかんだ女性に厳しい作品だったな!と思いました。面白かったけど!これだけ強い怒りを架空の物語に抱くことができるほどパワーのある作品だったということですごいと思います!

08/03 バレエの巨匠たち

2016/8/3 19:00~ 東京文化会館 バレエの巨匠たち 4列目中央寄り

ルジマトフは私がバレエを見るようになったきっかけをつくった人です。
2007年だったかな?新国立かなんかであったガラ・コンサートにではじめてバレエというものを見て、それが「ルジマトフのすべて」とかだったんですよね。確か、彼がフラメンコに傾倒してた時で、フランメンコダンサーと一緒にボレロ、ユリア・マハリナと牧神の午後、あとソロで阿修羅だったかな?よく覚えてるなー、自分。なんというか上半身と腕の動きにやられましたね。
それから忘れられないダンサーでして、公演を見つけるとついつい見に行ってしまいますね。もういい歳でいらっしゃるので、いつ引退されるのか結構びくびくものです。
でもさすがにもう座長公演はなくなっていて、今回もマトヴィエンコが座長で、ルジマトフは特別出演という形だったようです。
後でわかったのですが、今回はメインの3組は夫婦での出演だったのですね。びっくりしたー。

では、思ったことをつらつらと。

てか!演目の感想の前に、これは声を大にして言いたいんだけど、東京文化会館の3-4列目中央は微妙!もしかしたら2列目もかも。
結構東京文化会館には通っているんですが、今回ほど前の席ってなかなかなかったんですよ。
4列目だったから、うわーい!ちかーい!とルンルンで行ったのですが、これが。。。東京文化会館は4列目までほぼフラットで、そこから階段で登って行くのですね。
しかも、座席が前に完全にかぶるように配置されているので、3-4列目中央は前の人の頭でステージ中央がほぼ見えない、という体験をしました。
それで、3列目の方もとても見にくかったようで、公演中、頭が右に左に動く動く。動きが大きくて、こっちのポジションどりとかもちろんお構いなしなので、すごく視界が悪かったです。。。
バレエとかの時は2-4列目の中央は避けた方が良いですよ!
むしろあれだと後方の20列目とかのほうが良かったんじゃないかとさえ思えました。。。

やっと演目の感想です。

「ジゼル」第二幕より
アルブレヒト:デニス・マトヴィエンコ、ジゼル:アナスタシア・マトヴィエンコ、ヒラリオン:ミキタ・スホルコフ、ミルタ:カテリーナ・カザチェンコ
最初のヴィリさんたちのアラベスクが美しいですよねー。でも2-3人ふらふらしていなかった?とちょっともやもや。
ガラコンサートでコールドが見れると得した気分なので結構楽しみにしている。
あと、なんといってもこの手の衣装が好き。女性の足さばきによって翻るチュールスカートの空気感って得も言われぬ優雅さがあります。空気をはらんだゆったりとした落ち感と幾重にも重ねられたスカートの醸し出す透け感が独特ですよね。
それが人数そろって行われるとまた圧巻。白いバレエの好きなところです。
なんというか・・・主役の二人は特に印象に残らず。なんでだろ?ヒラリオンのほうが良かったな。

「タンゴ」より デニス・マトヴィエンコ、アナスタシア・マトヴィエンコ
こっちのほうが好きだな。激しい表現のほうがあってる気がする。伝わるものがある。

「シェヘラザード」よりアダージョ
ファルフ・ルジマトフ、エレーナ・フィリピエワ
ルジマトフの十八番ですね。フィリピエワのゾベイアはなんか、健康的すぎない?と思った。太陽属性というか。でもあれは、退廃的な宮殿が背景にあるので、マハリナとか、ぺレンもまあ、って感じだったけど月属性の人たち向けのようなー。ルジマトフが圧倒的に闇!陰属性!の方ではあるんだけど、二つがぶつかって、爆発!というわけではなく打ち消しあってしまったような?
あと音楽がはやくって動きをゆっくり堪能できなかった気がするのが不満です!
しかし、改めて五十路とは思えない良い身体してらっしゃいますね、ルジマトフさん。エロいですね。

「ゴパック」
ヴィタリー・ネトルネンコ
シェヘラザートのことをつらつらと考えていましたら、やってきましたゴパック。これ良かった!
若者しか持ちえない溌剌とした空気、テクニックでシェヘラザードの退廃的空気感をばっさり切り替えてくれました。
若いって素晴らしいですね。

スパルタクス」よりパ・ド・ドゥ
イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフ
イリーナ、ちょっと大丈夫!?っていうくらいガリガリに見えました。本当に骨と皮ってかんじ。あれは綺麗に見えるっていうより不安になるよー。
スパルタクスは時々ボリジョイでかけられてるのは知ってたけど、見たとこはなかったのです。本当にアクロバティックなパ・ド・ドゥなんですね、あれ。現代的っていうか、なるほど、ボリジョイっぽいなー、ていう納得。お二人は夫婦なんですね。流石の安定感で、不安的さのかけらもみえず、難易度の高いリフトを次々と決めていってました。もしや、このためにぺレンは体重をしぼったのかな?男性側もかなり大変でしょうし。

「Escape~終わりなき旅~」
デニス・マトヴィエンコ、ファルフ・ルジマトフ
脱出しても旅は終わらないのですか、そうですか。題名からして逃げてから旅を始める前向きなかんじかしら?と思っていまいましたがなんか違った。。。
逃げても逃げてもついてくる影(ルジマトフ)のようなイメージ。で、本人もその影から全力で逃げたい!ってわけではなく、逃げようかどうしようか迷ってる感じ。
その迷いこそがが終わらない旅なのかも。
しかし、ルジマトフはそんなに大きいわけではないのだな、とマトヴィエンコと並んだことで認識。どちらとも良い身体しているんですけどね。やはり根本的に何か違うよな。
マトヴィエンコは陽の雰囲気なんですが、なんだかこのコンビはマッチしてた。
舞台中にまかれたビニールを使うんですが、ふわっとしていて私の好きなチュールスカート感があります。けれど抑えられないカサカサとした音で現実に引き戻されます。
縦横無尽にビニール使うのは何気にすごいな、と思ったり。コントロール難しそうじゃないですか?

「赤と黒」よりパ・ド・ドゥ
これ、どのシーンなんだ・・・?
赤と黒の小説のあらすじは読んだものの、さっぱりわからん。銃を持って怒ってるぽいから最後あたりに夫人と再開するようなシーンがあるんだろうか。
でもベッドがあるし、人妻宅で、警戒もされているでしょうに、ここまで侵入するとはなかなかの執念ですね。
ここのペアも夫婦だった模様。
なんか椿姫ぽいな。このあたりからちょっと疲れてきました。。

「ボヴァリー夫人」より
イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフ
ほとんどおぼえていません。ていうか寝落ちしました。ごめんよ。

トゥオネラの白鳥
ファルフ・ルジマトフ
急遽追加された演目。ルジマトフの体調が良かったのか?なんだか得した気分。
しかし、最近トゥオネラの白鳥をよく聞くようになった気がします。流行りなのか?私が知らなかっただけ?
全体として、暗く、ゆったりとした踊り。死の河を泳ぐ白鳥ですものね。ポージングの連続でジャンプなどはほとんどないのですが、上半身、背中から腕にかけての動きが絶品です。別格のオーラがあるんですよね。特に腕が関節を感じさせない滑らかさ。派手さはないのですが、はっとさせられる表現力でした。こういうこの人にしか表現できない、他と違った何かというのはテクニックとは別次元ですごいな、と思います。リピーターやファンがつくためには必須の物なのではないでしょうか。
衣装が黒のハーレムパンツに上がシースルー気味の不思議な布でとりあえず色気が増幅されてますね。
あと、ルジマトフの目回りのメイクがすごく濃かったのはこの演目にあわせたのか?とちょっと思いました。

「海賊」よりパ・ド・ドゥ
デニス・マトヴィエンコ、アナスタシア・マトヴィエンコ
デニスのアリは溌剌としていますね。すごく良かったと思います。何より似合ってた。
でも、ヴァリアシオンはすごくよかったんですが、アダージョがやっぱりしっくりこない!デニスさんは私生活と仕事はわけたほうがいいんじゃないかな?
アダージョでベストパフォーマンスに見えないのは痛いと思うよ。私の好みなだけ?
なんていうか、アナスタシアさんはふつうにお上手だと思うのですが、端的に言うとつまらないのか?とにかくスタイルがデニスとはあわない気がするのと、技量に差があるのか?
デニスは最後の男性ヴァリアシオンの跳躍とかすごく技巧的で会場からおもわずどよめきがあがっていたのですが、すごく頑張っていたのも奥さんのためなのかな、と思うと何とも言えないのですが。
なんかもう気に食わない!ってなってしまったからかもしれませんが、チュチュを着た状態でのお辞儀がなんだかすごくぎこちないように見えました。。。

「フィナーレ」
華やかで良い。ルジマトフの周りだけ明らかに空気が違って笑う。特別出演なのだろうけど、あんなに気を遣わなくてよいんですかねww。草生えるくらい空気読んでなかった。

ガラコンサートは華やかで良いですね。最近はそこそこセットも組んでくれるようになったし。

しかし、しばらくぶりにバレエに行ったのですが、チラシを見ると有名どころの公演はまたチケット値上がりしてるのですね。消費税分なのかもしれませんが、26,000円もだせませんわ。
それでも売れるのでしょうけどチケット代分の公演になってるのでしょうかね。

アイドルという信仰

ここ1か月、KAT-TUNの一連の出来事を通してつくづく思ったことはアイドルは宗教だということです。アイドルにはまる前は直接は知らない誰かの行動にこんなに一喜一憂されるなんて考えられませんでした。田口君の発表で気分が地の底まで落ち込み、亀梨君のファミクラでの対応であっという間に平常心まで戻ったり。

 そもそも私は亀梨君の最近のパフォーマンスについて、ちょっと不満だったんですよね。もっと若いときのようにがっつり踊って欲しいとファンになってこのかたずーっと思ってたような気がします。で、いつも全力で格好いいパフォーマンスをする田口君に最近は目を奪われることが多かった。なので自分が亀梨君ファンという意識はうっすらとあるくらいで、これはもしや担降り間近か・・・?と思っていたんですが、ここにきてやはり自分は亀梨君のファンなのだと再認識しました。
 彼に幸せになってほしい!と強く思ってそのために行動することにあまり躊躇いがなくなっている自分にびっくりしました。

 アイドルが売れるためにはこの、あたかも自分のことのように考えさせる力って非常に重要なんじゃないかな。アイドルとおつきあいできないことなんて、20代に近くなってくれば自然にわかる。アイドルだって成長するんだし、ファンになったきっかけがパフォーマンスだったとしても、それを維持し続けることができるかはわからない。では何のために、何をモチベーションにして、ファンはアイドルにお金を払うのか。私の場合は完全に彼に幸せになって欲しい、喜んで欲しい、という気持ちに行きつきました。

 亀梨君が幼い時から多くの部分をグループに掛けて、あるいは捧げてきたのは、彼がKAT-TUNを愛しているからだ、という認識がないファンはいないのではないでしょうか。いつもいつも、彼は口にだし、行動を伴い、グループが彼の最優先だ、彼の一番はKAT-TUNなのだ、とずーっとファンに示してきたと思います。だから亀梨君のファンも彼にとって大切なものを一緒に好きになって、信じてきて、そして今、必死で守ろうとしている(メンバーの誰もがKAT-TUNに対して多かれ少なかれ貢献してきたということを否定するものではないです。)。この亀梨君の強い信念は、彼にそんなつもりがなくともアイドルとして彼の大きな武器になっています。この武器がなければ彼にここまでの魅力は生まれなかったと思います。
 うろ覚えなのですが、以前少年倶楽部プレミアムに東山さんが出演した際、結局ファンはアイドルの信念についていく、というようなことを仰っていた気がするのですが、まさにその通りだよな、と感じさせられた一か月でした。亀梨君に信念が見えやすいからこそ、ファンがつきやすかったのだろうと思いますし(見た目とは裏腹に感じてしまう、その健気でいじらしい姿とのギャップもありますし)、その部分に魅せられたら、なかなかファンを止めることができません。。
 だからなのか、なんとなくインターネットの流れを見ていて、亀梨君のファンが一番田口君に対して厳しい意見をもっている方が多いように感じます。絶対的な母数が多いだけかもしれませんが、やはり亀梨君が大事に大事にしているKAT-TUNを危機的状況に晒している、ということが大きいのでしょう。

 アイドル自身が教義であって、ファンは結局それを信じる信者にすぎないのです。できることはお布施をして、あなたは間違ってないよ!という意思を示すことくらいです。ただ、所在不明な神様とは違い、アイドルは生きていて、彼らには彼らの人生があります。脱退者を見て思うことは、アイドルは所詮彼らの仕事に過ぎないということです。誰もが悩み、苦しみ、その先に下す判断にどれだけファンが関与できるのか、関与することが許されるのか。
 才能とは神にからのギフトだと言い、課せられた義務だとも言います。アイドルには確かに愛される才能があるのです。でもそれが彼らにとって幸せなのかはファンの与り知るところではないのです。今は亀梨君がKAT-TUNを諦めませんように、と祈りながらただただはがきを書いています。

田口君脱退に際して

今回の件に関して、私はある程度予感していたと思います。5月のコンサートでの田口君の涙、その時の不穏な空気、ある予定のようなことを匂わせながら結局なかった今年のツアー・・・・・。でも半年、彼らは全くそんなこと感じさせませんでした。少年倶楽部プレミアムでは相変わらず素晴らしいパフォーマンスを見せてくれていたし、はじめは?と思っていたタメ旅も最近は需要がわかってきたようで、楽しいコンテンツが続いていました。10月を超えて(前回の脱退の際、契約更新がここだったので・・・)、もう大丈夫かな?と思っていたんですけどね。
あの日、しばらくぶりの地上波のKAT-TUNの露出ということで私はわくわくしながらテレビの前でスタンバイしていました。ネクストゲートまではいつものKAT-TUNで、CM明けを待ち構えていました。しかし、櫻井君が大事なおしらせがあります、と言った時の固い顔。そして他メンバーの凍りつくような蒼白な表情。ああ、これは良くない何かがくるって思いました。おしらせが田口君から、という時点で私は結婚報告かな、むしろ結婚報告であってくれ!という祈るような気持ちで本人の言葉をまちました。しかし、田口君の選択は我々ファンにとって最悪のものでした。
悲鳴があがる会場、そんななかパフォーマンスに移るKAT-TUN、茫然自失でそれを見つめる私。茫然自失すぎてあまり記憶に残っていませんが、田口君以外のメンバーのパフォーマンスは、かわいそうになるくらい動揺が見えるものだったと記憶しています。
今思い返しても何故あそこで発表する意味があったのか、色々な説明がでているようですが、本当に意味が分かりません。すべてにおいて最悪のタイミングとしか言いようがなかったのではないでしょうか。誰だよあの判断したトップ層。マネジメント能力が著しく欠如しとるわ!
もうそのあとはぐるぐる考えたり、ネットをのぞいたり・・・、空気を感じ取っていたとはいっても実際に本人の口からでるとまさかね、思っていただけに胸が引き絞られ、体が冷え、本当に寝付けませんでした。
翌日、マスコミも大混乱のようで・・・、そうしたら我々はもっと大混乱ですよね。で、はっとしたのです。少プレやタメ旅というやっと育ってきたコンテンツはもうはっきりいって風前の灯もいいところですが、それ以上に今回、本当の本当にKAT-TUNの存続に危機が迫っている。KAT-TUNは過去2回脱退を経験していますが、今回ほどメンバーに無力感を感じたことはありません。事務所も本気でグループの今後を検討しているような情報もはいってくる。この時点で田口君に猛烈に腹がたってきました。ファンの方々には申し訳ありませんが、あの瞬間から私の中で田口君はKAT-TUNではないという認識になりました。
おかしいな?私、本当に最近の田口君大好きだったんですよ。コンサートDVDでもRAYとかKISSKISSKISSとか、ダンスに見ごたえのある田口君を目で追っていましたし、これはやばいのではないかと思うくらい最近田口君が急上昇していました。正直、やっと田口君がKAT-TUNに還元できる番がやってきて、今まさに、徐々にファンが広がりはじめ、今後もっと大きくなる、その光が最近とみに見えてきていたと思います。ファンみんなが感じていたことだと思いますが、私は、今後のKAT-TUNは上田君と田口君がどこまで活躍できるか、にかかっていると思っていました。その中で、ここ2年ほど、間違いなく田口君の推し期間ははじまっており、特にドラマでの活躍は目覚ましいものがありました(あのくらいのポジションでドラマにでて、爪痕を残していたというのは本当に美味しかった。田口君本人の努力、資質はもちろんですが、大前提として事務所が仕事をちゃんと考えてわりふってくれてたと思います。田口君が指名されて、、ということは考えにくいので。)。KAT-TUN自体も来年10周年を迎えます。メンバーも半年間、折に触れ説得を重ねてきたのがよくわかりました。でも、最終的に田口君が選んだのはアイドル、KAT-TUNという生き方ではなかったことが非常に残念で、それ以上に悔しくて、無性に張り飛ばしてやりたい・・・!
でも、今回のことで改めて再確認しました。アイドルという生き方は本当にきつい。アーティストならばその歌やパフォーマンス、俳優ならばその演技、それが彼らの主な商売道具です。でもアイドルは、全てを売っている。全てを売らなければ生き残れなのです。歌もパフォーマンスも演技も、そして顔、スタイル、性格、生き方、という一般人であれば放っておいてくれ!プライバシーだ!と叫びたくなる全てをファンは覗き込もうとして、その人の全てが好き!と言ってファンになる人が多い。事務所もそれが商品ということが良くわかっているから、当初のビジョンを崩すことになり、ビジネスモデルが激変するから、恋愛、結婚、出産といった一般ではおめでたいことでもアイドルは厳しく管理されている。
田口君が実はKAT-TUNを嫌いだったとか、アイドルやるのが嫌いだったとか、私にはどうしてもそうは思えない。ファンは所詮憶測でしか物事を見たり、語ったりすることしかできないけれど、KAT-TUN(アイドル)と天秤にかけて、さらにKAT-TUNであればできない、許されないという何かがあって、田口君にとって後者のほうが大事で、そちらをとったということだと思っている。でも、それがたまらなく悔しい。
私は田口君がいるKAT-TUNが大好きでした。でも、私が好きだったのはKAT-TUNの田口君であって、ただの田口君ではないのだ、とはっきり思いました。むしろ今の田口君はKAT-TUNの今後にとって甚大な迷惑しか及ぼさない、と判断できる材料が揃ったところで、本当にKAT-TUNではない田口君がいるKAT-TUNを見るのが辛い気持ちです。こんな生殺し状態が春まで続くとか・・・。改めて男アイドルと女アイドルの違いを感じますね。
田口君はいままで一切理由を話していませんし、脱退発表後も特にしおらしくなったり、とか全くないです。それはある意味彼なりの潔さなのかもしれないし、事務所からストップがかかっているのかもしれません。でも個人的にあのやり方にはイライラを逆なでされます・・・・。なんか、明らかに違うってわかってもいいし、とってつけたような言い訳でもいいから、理由という目途をつけて欲しいし、いつまでいるのかもはっきりしていただきたい。
とりあえず、私はKAT-TUNのファンなので、もう田口君のほうは向けないかな、と思います。今はKAT-TUNが何とか解散だけはしないように要望の毎日です。切手を束で買ってやったぜ!
KAT-TUNが好きだ!KAT-TUNを背負っている人が、KAT-TUNであることを選んでくれた人が好きだ!KAT-TUNじゃないと、それが他の3人であっても意味はないんだよ!

7/11(土) 阿弖流為

7/11(土)16:30 阿弖流為 新橋演舞場 S席1階後列

 

ポスターがあまりにも格好良かったので、引き寄せられるようにチケットをとっていました。

鑑賞した感想は面白い!だけど長過ぎ。。で、もう少し後半を端折ってテンポよく進めてほしいな。歌舞伎に対して、難しいから、って敬遠している人の苦手意識の壁をまず乗り越えさせる導入として、最適なのではないかと思いました。

例によって印象に残ったところだけ。

・ステージ全般

この舞台の根本をそもそもわからずに参加してしまったので、まず、イヤホンガイドがないのはなぜ?と思ってしまいました。たまにしか歌舞伎を見ないにわかには必須アイテムなので。そのため、開幕までちょっと不安だったのですが、なるほど、口語だ。これはわかりやすい。
個人的に歌舞伎をわかりにくくしているのってやっぱりしゃべっていることが初心者には全然わからないというのがあると思います。
そのため、口語でやってくれると本当に助かりますね。

衣装やセットは全体的に中華風。まぁ、飛鳥時代ですからこんなもんだったちゃこんなもんだったんだろうな。しかし!阿弖流為の衣装がポスターから結構違っていたように感じて、それが不満。
特に顔回りのびらびらは欲しかったな。あとロングコートじゃなかったよね?あれだけ激しい動きがあるから動きやすさ重視なのだろうけど、なんか残念。。
多分歌舞伎としてみると節約気味?で現代劇としてみると大分金かかってるな!て感じなのかな。でも好評を博さなければ一か月かぎりの衣装、セットになると考えると、、しかも箱も考えると、、予算は難しいところですかね。

あと、歌舞伎だとS席16,000円ってまぁ、妥当かな?って感じなのですが、NEXT歌舞伎と銘打っていることと、客層が現代劇からもきているので、チケット代が高すぎる!って人が一定数いることを後で知りました。
確かに若干心理的壁のある金額設定かとは思いますが、内容からすると結構妥当な設定かと。

まだそう何回も上演してないはずの日程なのに客席の空気にリピーター感が結構でていてびっくり。みなさん熱心ですねー。

・役者についての諸々

中村兄弟の芸風をはじめて拝見したのですが、なるほど、という感じ。七之助は女形なのでそこまで感じなかったのですが、勘九郎は外連味たっぷり、紙一重でわざとらしくなりそうだけど、そこは絶妙の匙加減か?

お父さんの勘三郎を残念ながら生で拝見したことはないのですが、なんとなくのイメージそのままでした。役者としての華を間違いなく感じましたね。
七之助は正体を表すところが圧巻。引き込まれる。

染五郎さんは、中村兄弟に比べるとやっぱり舞台上は霞んじゃうような気がするところがちらほら。あと、声が聞き取りにくい・・・。なんだろう、のどの調子が悪かったのかな?
歌舞伎は一声二顔三姿、といわれていて、?と思っていたんですが、図らずも今回声の重要性をしみじみ感じてしまいましたね。
ただ、阿弖流為の舞台が染五郎さんプロデュースであることを考えると、プロデュース能力は高いのではないかな。

殺陣が何回もあるのですが、これがすごく格好良い。なんだろう、やっぱり歌舞伎役者がやってるからか、型がびしっとしている気がするんですよね。
あと、阿弖流為と田村麻呂のサシの勝負の時は絶対に決めポーズから入るのですが、この決めポーズがまた恰好良い!絶対にすごく苦しい姿勢だと思うので、やはり長年の研鑽あってのことなのでしょう。

・ストーリーの中の諸々
随鏡の悪事を暴くとき、「そろいもそろって大見得をきりおって!」という台詞が笑えた。歌舞伎には見得がないとね!

阿弖流為鈴鹿が都で出会ってお互いに玉を掲げあうシーンが。。微妙に安っぽい。でもこれは客席が笑ってたのも悪いと思う。

阿弖流為が神様に許しをもらいに行くところが中々良いが、ジブリ(もののけ姫)感半端ない。
(もののけ姫は個人的には自然崇拝の終焉を描いた作品だととらえているので、阿弖流為も帝という現人神による土着神荒覇吐の制圧と考えると、テーマとしては似ているのかもとかなんとか、いや違うか?)

御霊御前はわかるとして、叔父上が、ですかー、さすが!宮廷人は汚いね。そして不死身っぷりがすごい。やっぱ悪役は清々しいくらい悪で強くないと対比としての物語が面白くないよね。
しかし、御霊御前は姉上だけど、姉上が叔父上より大分年上に見えるよ?

熊子。。。実は一番印象に残ってしまったかもしれない。蛮甲との掛け合いが爆笑でありつつ、まさかの純愛で。しかし、メインストーリーにはほぼ関係ないんだよな。あんなに尺長くとる必要あるか?

・その他

あとこれは完全な私のもやっと感の吐きだしです。深い意図はありません。
全体的に衣装やセットが中華っぽいのは、まぁ良いとして、帝に対する扱いが若干ひどかったというか、んんん?と感じるところが多かった印象。
フィクションと言われればそれまでなのですが、帝を渡り人であるというとか万世一系を悪い方向に使っちゃうとか。。
阿弖流為が主人公である以上、対立軸である帝はそりゃあ悪ですよ、それはわかりますが、演出の中にそれ、ストーリーの中で言う必要ある?って感じのものが結構ちりばめられていたような気がするんですよね。
でもこれは本当に人それぞれとは思いますよ。正直、阿弖流為とか千何百前の話であって、要はファンタジーに近いのであって、ただ、日本の複雑なのは、その時から連綿と存続している家系が現代にある、ってことなんですよね。
どうしてもファンタジーの中であるはずの帝なのに今の天皇家をも想起させざるを得ないところがすごく難しいところですよね。。ということも感じました。

全体的には歌舞伎役者が歌舞伎の型をもって演じればそれは歌舞伎だ、というのが私の今回の感想ですかね。
演出や脚本は完全に現代劇のようでしたが、歌舞伎役者が演じることでただの舞台とは違う重みが加わっていたと感じました。
やはり子役の頃からしみついているだけあって動作が極めて自然なのですよね。あと大見得とか飛び六方とかすごくテンションあがりますが、あれも普通には難しいですよね。

ストーリーはまぁまぁまとまっていたと思いますが、とにかく後半が長い!疲れたよ。もう少しコンパクトにしてもらえないものか。黒縄とか熊子とか端折って良いのではないかと思った。

でも間違いなく楽しかった!前半はわくわくし通しでしたよ。再演があったら行くと思う。

5/10 KAT-TUN quarter魂

5/10 東京ドーム 18:00~ アリーナ3塁側(割と近くにはじっこのquaterステージ)

 

10日のチケットを確認した時目を疑いましたね。人生初のドームアリーナ!楽しみで楽しみで。実際に行ってみたところ入口からして天井席とはまるで違うんですね。やっぱりスタンド席側は球場としても客がはいるところなので売店とか通路とかそれ仕様になっているんですが、アリーナにはそういうの一切なし!コンサートのための急ごしらえで普段一般人が入るようにはできていないんだな、という印象をうけました。

席は柵の近くでステージも斜めからでしたけど割とよく見えて、本当に私は運を使い果たしてしまったかもしれない。

天井から見るとステージは全体的に平面で、そこにレーザーや特攻で立体感をもたせている感覚なんですが、アリーナからだとステージの立体感を強く感じました。

反対にレーザーはあんまり感じられません。ムビステが中央に移動していくにつれ 、どんどん高さがあがっていったり、真ん中にムビステが集まった時でも曲によって構造を変化させているんですね。あとムビステの横に設置されたライトも上下に動いていて本当にエンターテイメント感炸裂していました。

あと、メインステージが本当に凝っていた!中央に円形のモニターがすえつけられていたんですが、この構造が天井からではいまいち把握できなかったんです。4分割になったり中に階段が設置されていたり、縦の移動が可能になる構造で、良く考えられていて、本当に2日間だけとか勿体なくて、勿体ないお化けが大量発生してもおかしくない。。。

アリーナはメンバーとメインステージを見る席ですね。天井とは本当に視点が違う。びっくりするくらい違う。結構近くでメンバーを見れて、衣装とか全体のステージ演出とか良く見えて本当に良かったです。衣装が今回大勝訴で本当に良かった。

9日はジャパネスクの衣装にやられてたんですが、10日はDOAからの金の衣装に釘づけ。こんなんだったっけ(と思ったら本当に衣装変わっていたらしい)!?腰巻の裾が各自本当に贅沢に布を使用されていて、その裾を捌きながら歌い踊るkat-tunの支配者感半端なかったです。ただ歩いているだけで本当に強そう。あとkat-tun×階段の安定の格好良さ。

DoAの後のRAYがハイライトであったことはみなさんの意見の一致するところだったと思います。本当に恰好よかった。そしてあのとき、私の正面が田口君で本当に本当にダンスが格好よくて始終悲鳴をあげていたかった(願望)。

 

田口君が最近本当に一皮むけたな、と思います。スタイルの良さは昔から折り紙つきでしたが、最近は男の色気を随所に感じてどきどきします。あと、大忘年会でAOLとステバイを歌っていたんだけど、どっちともしっかり歌えるし、何ならダンスも完コピ!びっくりしました。本当に良い男になりましたね。

最後に田口君が感極まって泣いていて、なんかメンバー全体がしんみりした雰囲気で終わってしまったんですが、考えてみれば3年ぶりの東京ドームなんですね。4人になってからははじめて。kat-tunは東京ドームがとても似合うし、なんならホームと呼ぶくらい馴染み深い場所です。6人の思い出も5人の思い出もあきれるくらい詰まっていて、でも、集客が厳しいと無理な会場でもある。昨年のカムヒアで東京ドームがなかった時、もうkat-tunは東京ドームを使わせてもらえないんじゃないか、そんな不安をもしかしたらメンバーはもっていたのかもしれません。帰ってこれた、そしてもう決してもどらないあの日。彼らだってこみ上げるものがあって、それがプロ根性を超えるくらいに出てしまったんじゃないかな。それはドームとkat-tunに対するとても強い思い入れだと信じています。

 

あ、それと前日よりJrが近かったのでメンバーがトロッコで回ってるときとか見てたんですが、本当にやる気のない子すぐにわかりますね。そんな中でしゃかりきに、精いっぱい恰好つけてダンスを踊る子に非常に好感をもてました。こうしてJr.にファンがついていくんでしょう。未来のスターがあの中から出るかもしれませんが、やはり常にベストを尽くすというのは最低条件でしょうね。どこでファンがつくかわからないですし、最後に彼らをスターにする原動力はファンなのですから(と信じたい)。

 

メンバーを間近(当社比)で見てつくづく思ったのですが、彼らが格好よく輝いていることで間違いなく私の心は多幸感で満たされます。私事ですが、前日から親不知が激烈に腫れていて顎がわずかしかあかないような最悪なコンディションでも、コンサート中はまるでそんなことは忘れさっていましたね。アイドルすごい。

たった4人の人間が5万5千人にエネルギーを与える、その分彼らは外に向かってアウトプットしなければならない。これは、私のような凡人には想像を絶する世界だと思います。てかさ、アリーナでメンバーの通り道とかぶった時あたるライト、超まぶしいし、超熱いよ!?スポットライト浴びるって、それだけで大変だよ!?でも彼らはそんなことを微塵も感じさせず、重い衣装を纏って全力でパフォーマンスをしてくれる。そうやっていつも頑張ってくれる彼らがおいしいもの食べれて好きなようにお買いものできるように金を落とし続けるのが(たとえ雀の涙としても)ファンとしての務めだな、という思いがスコーンと湧いてきました。仕事頑張ろう。(アイドル好きじゃない人から見ると本当に金づる乙って感じなのでしょうが)

 

個人的にはカムヒアよりも今回のほうが激しく好み。ただ、本当に2日間だけというのでスタッフもkat-tunも練りが甘いところが点々とあったので、ツアーして最後東京ドームで最高のフィナーレ!っていうの希望。10周年本当に豪華にして下さい。頼みます…

5/9 KAT-TUN quarter魂

kat-tunのquarter魂に両日行ってきました!もう全てが最高で夢のような時間だったため、記録を残しておこうと思います。
ちなみに、セトリやらMCのレポは皆無です。純粋に私の感想のみ。


5/9 東京ドーム 18:00~ 天井ほぼ正面(若干3塁側より)

この日はほぼド天井でした。9日は行こうかどうか迷っていて、チケットを確保していなかったのですが、やっぱり行きたくなってお譲りを探しました。ファンクラブでとったチケットがはじめて!アリーナをとれたため、天井をチョイス。今までの経験上、kat-tunは天井でも十分楽しめます。ただ、できれば正面から見た方がより楽しめる気がする。ので、正面近くで探しました。正直私はメンバーのファンサービスとか本当にどうでも良いタイプの人間なのでコンサートに行く目的はkat-tunという人間を見るというよりもエンターテイメントとしてのkat-tunを見ること楽しみに行ってます。ちょっと何言っているかわからないですが、ええと、要はkat-tunが見せる世界ですね。私は他のジャニーズのコンサートは行ったことがないのですが、kat-tunのコンサートは特攻、レーザー、音楽、演出全てを含めて「kat-tun」として成り立っていると思っています。天井のチケットはあっさり入手できました。このくらいチケットがさくっと手に入るのはストレスがなくて良いですよね。ただ、もうすこーし売れてほしいな。シングルがコンスタントに20万売れるくらい。自分の好きなものを独占したいのに世間にもその良さを共有して欲しいと思うのはアイドルファンの業ですね。

次の日アリーナにはいれたのでわかったのですが、天井とアリーナは当たり前ですが、見える景色がまっっったく!違います。天井は本当に演出とレーザーを楽しむ世界ですね。kat-tunのレーザー使いは本当にすごいです。美しくて楽しい!あと、ドームのほぼ天井にいて、光源もほとんどないのでファンのペンライトでドームが正に星の海!状態なのが良く見えます。私はふとした時に回りの星の海をぐるっと見て世界にはこれだけの人に求められる個人というのが存在するのだなぁ、と思って誇らしくもなんだか胸が締めつけられるような気分にもなります。それぞれの中にそれぞれのアイドル像があり、ましてや彼らの売り物はビジュアルも心も含めた彼ら自身で、そんな中求められ、輝き続けるということがどれだけ大変なことなのか。考えるとほんのり薄暗い気持ちにもなるのです。

今回のコンサートで特に印象に残ったのが、衣装がかなり勝訴!だったということ。そしてタイトルにもなっていたようにコンサートが4部制でそれぞれのメンバーのプロデュースだったことです。
一番茫然としたのが亀梨君のパートで、ジャポネスク?なのかな。私がkat-tunにはまった最大の原因が1582ですからね。滅茶苦茶好きなやつですよ。でも最近のコンサートやTV露出の彼らはスタイリッシュ系が多かったため、もうごてごてじゃらじゃらした衣装やザ!ジャニーズ的なわけのわからないことはしないのかな、とちょっとさびしく思っていました。そんな中あらわれた亀!着物に毛皮背負って般若の仮面だと!?そのあとの怒涛の扇!刀!番傘!しかも全員!!やはりイケメンは二次元ですね。あの衣装がなぜあんなにも似合ってしまうのか、理解不能。みんなそれぞれ似合うんだけど和装はやっぱり亀梨君が一番かな。なんというか、日本的アシンメトリーと月の影が一番似合う、というか自分の一部としている?ひとだと思います。特にLovin'Uの最後でひとり番傘をさしかけながら月を背景に歌って、最後籠におさまるところが最高すぎて、咽び泣きたいレベル。私にとって亀梨君は細部にはっとさせられて目が釘づけになる人です。今回も籠に乗り込むときの流し目と扉を閉める手がとても艶めかしい!完璧!このパートは最初から最後までにやにやにやにやしていてかなり気持ち悪い人だったと思います。はい。その籠からイリュージョンで上田君がでてきてタバコの火で籠を焼き払ったのもなんか妙にしっくりきてしまいました。考えるな!感じろ!
上田君パートはロック。kat-tunといえばロック、ブラックのイメージですが、これらのイメージは主に脱退した2人が負うところが多かったと思います。それを上田君が背負うようになったんだ、ということがはっきりしたように感じました。決して良いことではありませんでしたが、4人になってそれぞれの背負うkat-tunの側面と各人の
覚悟がはっきりと明確になったのは良かったことなのかな、と捉えています。

しかし、この4部制本当に秀逸でした。テーマに沿って既存曲に結構なアレンジも加えているんですよ。ファンも漠然とは捉えていたこととは思いますが、kat-tunは自分たちを構成する要素を誰よりも知っているんだなぁ。そしてそんなkat-tunを彼ら自身が一番誇って、そして愛している。でないと常に進化を続けようとするそのパワーが湧いてくるはずがない。そして、ド天井でここまで満足なコンサートを提供してくれるのが本当に凄いと思いました。

 

ちょっとあらら。。と思ったのはアレンジ加えすぎ、曲多すぎで歌いだしがうまくいかなかったり歌詞とんでたりが多かった。スタッフの不備(特に音響?)も結構多くて。。それと、Jr.がついていたんですけどちっちゃい子ばかりでkat-tunの世界観にあってなかったかな。ダンスも適当な子多かったし。年嵩の子はまぁまぁこなしてましたし、必要な箇所も所々あったとは思いますが、それ以外はむしろいらないのでは?なんだろう、つけなきゃいけなかったのかな?
あと、個人的に大変腹がたったのが。隣のカップル!の男!背が高かったから後ろの方に気をつかって座られているのかな?とポジティブに考えていましたが、本当につまらない空気を2時間半に渡って醸し続け、拍手もせず手つなぎもせず・・・・。来るな!少なくとも彼女はkat-tunのファンなのでしょうから一緒に楽しむふりをするくらいの気概はないのか。彼女がコンサート中ずっと彼氏に気を遣っていてかわいそうでしたよ。他人の大切なものを踏みにじるような態度しかとれないような男なんか最低ですよ。こっぴどく振ってやれ!(戯言です。お気になさらず