アイドルという信仰

ここ1か月、KAT-TUNの一連の出来事を通してつくづく思ったことはアイドルは宗教だということです。アイドルにはまる前は直接は知らない誰かの行動にこんなに一喜一憂されるなんて考えられませんでした。田口君の発表で気分が地の底まで落ち込み、亀梨君のファミクラでの対応であっという間に平常心まで戻ったり。

 そもそも私は亀梨君の最近のパフォーマンスについて、ちょっと不満だったんですよね。もっと若いときのようにがっつり踊って欲しいとファンになってこのかたずーっと思ってたような気がします。で、いつも全力で格好いいパフォーマンスをする田口君に最近は目を奪われることが多かった。なので自分が亀梨君ファンという意識はうっすらとあるくらいで、これはもしや担降り間近か・・・?と思っていたんですが、ここにきてやはり自分は亀梨君のファンなのだと再認識しました。
 彼に幸せになってほしい!と強く思ってそのために行動することにあまり躊躇いがなくなっている自分にびっくりしました。

 アイドルが売れるためにはこの、あたかも自分のことのように考えさせる力って非常に重要なんじゃないかな。アイドルとおつきあいできないことなんて、20代に近くなってくれば自然にわかる。アイドルだって成長するんだし、ファンになったきっかけがパフォーマンスだったとしても、それを維持し続けることができるかはわからない。では何のために、何をモチベーションにして、ファンはアイドルにお金を払うのか。私の場合は完全に彼に幸せになって欲しい、喜んで欲しい、という気持ちに行きつきました。

 亀梨君が幼い時から多くの部分をグループに掛けて、あるいは捧げてきたのは、彼がKAT-TUNを愛しているからだ、という認識がないファンはいないのではないでしょうか。いつもいつも、彼は口にだし、行動を伴い、グループが彼の最優先だ、彼の一番はKAT-TUNなのだ、とずーっとファンに示してきたと思います。だから亀梨君のファンも彼にとって大切なものを一緒に好きになって、信じてきて、そして今、必死で守ろうとしている(メンバーの誰もがKAT-TUNに対して多かれ少なかれ貢献してきたということを否定するものではないです。)。この亀梨君の強い信念は、彼にそんなつもりがなくともアイドルとして彼の大きな武器になっています。この武器がなければ彼にここまでの魅力は生まれなかったと思います。
 うろ覚えなのですが、以前少年倶楽部プレミアムに東山さんが出演した際、結局ファンはアイドルの信念についていく、というようなことを仰っていた気がするのですが、まさにその通りだよな、と感じさせられた一か月でした。亀梨君に信念が見えやすいからこそ、ファンがつきやすかったのだろうと思いますし(見た目とは裏腹に感じてしまう、その健気でいじらしい姿とのギャップもありますし)、その部分に魅せられたら、なかなかファンを止めることができません。。
 だからなのか、なんとなくインターネットの流れを見ていて、亀梨君のファンが一番田口君に対して厳しい意見をもっている方が多いように感じます。絶対的な母数が多いだけかもしれませんが、やはり亀梨君が大事に大事にしているKAT-TUNを危機的状況に晒している、ということが大きいのでしょう。

 アイドル自身が教義であって、ファンは結局それを信じる信者にすぎないのです。できることはお布施をして、あなたは間違ってないよ!という意思を示すことくらいです。ただ、所在不明な神様とは違い、アイドルは生きていて、彼らには彼らの人生があります。脱退者を見て思うことは、アイドルは所詮彼らの仕事に過ぎないということです。誰もが悩み、苦しみ、その先に下す判断にどれだけファンが関与できるのか、関与することが許されるのか。
 才能とは神にからのギフトだと言い、課せられた義務だとも言います。アイドルには確かに愛される才能があるのです。でもそれが彼らにとって幸せなのかはファンの与り知るところではないのです。今は亀梨君がKAT-TUNを諦めませんように、と祈りながらただただはがきを書いています。